萩のデルタは有名で、近くの田床山(たとこやま)からながめる風景はテレビや観光雑誌で萩の顔になっている。しかし、本州の西の先山口県になぜこんな立派なデルタができたのか少々不思議である。
デルタを生んだ阿武川は、長さ82kmで、中国地方の中心広島平野をつくった太田川の103kmと比べても遜色ない。それは、源流が山口県の奥深くにある徳佐盆地(とくさぼんち)にあり、山口や日本海側の益田(ますだ)に流れ出ることはなく、大きく西にカーブし長門峡という渓谷を刻み、河口のデルタを日本有数の規模にしたからである。
ところで、このデルタはいつごろできたのであろうか。結論から言えば、湿地や入江などあり決して人が住めるとは言えないながら今のような広がりをもつようになったのは、今から1300年ぐらい前の奈良時代ごろだそうだ。それ以前は、海にすむ貝の殻がデルタから見つかったことからの大きな湾だったそうだ。