松陰神社のお散歩の後半。この石碑には、『親思ふこゝろにまさる親こゝろ けふの音つれ何ときくらん』という松陰の詩が刻まれている。この詩は、萩の人なら知らない人はいない詩で、萩市民の心の染み入っている。詩は、松陰が江戸で処刑される安政六年(1859年)10月27日の1週間前に詠まれたもので、家族や親せきに送った『永訣の書』の中に入っている。意味は読まれる人はすぐお分かりを思う。私などは、最近、デイサービスに通う母の世話を妻としながら、この詩を思い出し親を大事にしなければと思うことにしている。石碑の上部には「吉田家の家紋」が刻まれている。吉田家の家紋は、『五瓜(か) 隅たち 左まんじ』である。松陰は、国禁を犯してアメリカに渡ろうとした下田踏海前に、アメリカの将校に『投夷書』を手渡している。その中で「瓜中万二(かのうちまんじ)」という偽名を使っている。これは、この家紋からきている。
2019
22Feb