吉田松陰をこの地で神として祭ったのは、明治二十三年(1890年)に母瀧と兄の民治が小さな祠を作ったことに始まる。明治四十年には、伊藤博文らの尽力で縣社となっている。現在の社殿は、昭和十三年(1938年)に起工されたもので、太平洋戦争をはさんで昭和三十年に完成している。松陰神社の御神体は、松陰愛用の赤間硯と『家大人・玉叔父・家大兄に上書(処刑を覚悟した松陰が父・叔父・兄宛に書いたもの)』である。祭礼は、春と秋の2回行われる。春は5月25日の松陰の江戸送りの日、秋は江戸で処刑された10月27日である。
社殿の前の鳥居には内閣総理大臣だった岸信介氏が書いた「松陰神社」の額が掛かっている。両脇の石狛犬は、萩出身の文化勲章受章画家松林桂月氏が寄進したものである。
なお、社殿の北側には、松陰の門下生53柱を祭る松門神社がある。