伊藤博文についてはまた詳しくおはなしするが、ここでは略歴にとどめる。博文は、天保十二年(1841年)、現在の光市束荷(つかり)の農家、林家に生まれ、九歳の時萩に移った。両親ともに伊藤家と養子縁組を行い、この家に住むようになった。安政四年(1857年)松下村塾に入塾し、松陰から「なかなかの周旋家(しゅうぜんか、政治家)になりそうだ。」と評された。長州ファイブの一人としてイギリスに留学。明治になり憲法制定に携わり初代内閣総理大臣になった。
そばにあるのが伊藤博文別邸だ。博文が明治四十年(1907年)に東京府下荏原郡大井村(現 東京都品川区南部)に建てたものである。明治時代の宮大工伊藤万作が建てたもので、萩には、玄関、大広間、離れ座敷が移築された。