雪舟の絵は萩で描き続けられた? 図は、寛文年間(1661~73年)頃の萩の城下絵図の一部である。「吉川」の文字が見えるので、当時岩国の吉川家の広大な敷地のあった萩城の南の一角、現在萩八景遊覧船が走る堀内疎水の付近だろう。(この疎水は大正時代の終わりごろにできた。)図に見える「等與」「等作」…
「円山応挙」は萩の生まれだった? [caption id="attachment_297" align="alignnone" width="724"] 円山応挙筆 『京都名所図屏風』[/caption] 「円山応挙」という名を聞かれた方は多いだろう。江戸時代、京都で活躍した絵師である。その…
萩出身の人間国宝的な絵師は、異人の射撃の的の絵も描いた? [caption id="attachment_292" align="alignnone" width="164"] 森寛斎筆『人体的異人図』[/caption] この絵、サーカスの団員を描いた古びた看板のように見える。しかし、実は…
松林桂月筆 「春宵花影」はなぜ人気があるのか? 『お宝鑑定団』に登場して有名になった松林桂月の「春宵花影」。朧月に浮かぶ夜桜を描いた桂月の水墨画の代表作である。もっとも馬屋原家が所蔵する作品は、ニューヨークで開催された万国博覧会に出品した同名の作品が好評だったので、萩出身の桂月に描いてもらった…
トップページに戻る