デルタの西の端に緑色のコントラストをつけるのが指月山である。デルタの端になぜ突然緑色の山塊があるのかといえば、やはり長年城山として保護されてきたからである。手つかずの「自然」なのだ。
萩の沖の日本海には、暖流の対馬海流(つしまかいりゅう)が流れ、指月山は、東南アジアなどで分布するサザンカやミカドアゲハの北限地となっている。
ところで、デルタの端の指月山は、その昔は島だった。1億年前、大陸の東の端にあった日本列島が、火山の噴火を生み出す地球のエネルギーで大陸から離れ現在の位置に来る。その時できた火山の石、花崗岩(かこうがん)のかけらが指月山である。萩城を開いた毛利輝元(もうりてるもと)が、朝鮮の陶工を連れてきてはじめた萩焼の土は、朝鮮半島とつながった地層の土が使われているそうだ。デルタが広がると、毛利輝元の城づくりのおかげで陸続きになったのである。
指月山はデルタの先に砂州を生み出す。高く盛り上がった砂の大地に人々が住み、江戸時代には城下町がつくられる。海岸近くには、松が植えられ、古くは「阿武の松原」、江戸時代は、豪商菊屋家(きくやけ)が手を加えた「菊が浜(きくがはま)」が、萩を訪れる観光客の目を楽しませる。