萩藩第十一代藩主毛利斉元と言ってもご存じない方が多いだろうが、幕末に活躍した藩主毛利敬親の実父と言えばおわかりだろう。幕末と言えば激動の時代だが、斉元が藩主を務めたのは文政・天保年間である。文政年間は、化政文化と呼ばれる江戸の町人文化の最盛期で、浮世絵や滑稽本、歌舞伎、狂歌などが盛んで、武士にもその影響が及んでいる。斉元自身も名の通った狂歌師で、山東京山という戯作者の娘を側室にむかえている。
なお、馬屋原家は、当時藩の重役の仕事ぶり監視する藩主直属の直目付を務めており、その関係でこの掛け軸を藩主から拝領したのではないか。屋号「花南理の庭」は、この和歌にある斉元の号(ごう)「柳桜亭花南理」からいただいている。