梅や牡丹が咲き、上方はなんだろう日本では見かけない鳥や、下方では雉のつがいが遊んでいる。花鳥画は、元々中国の宮廷で人の目を楽しませ部屋を飾るために描かれ、はっきりとした濃い色の仕上がりとなっている。禅宗の寺院などで描かれた水墨画とは違い、深い精神性を求める絵ではない。
佐々木縮往(慶安二年(1649年)~享保十九年(1734年))は、萩藩の儒学者で、第四代藩主毛利吉広の教育係を務めている。藩校明倫館が開校した時は講師であった。絵は、狩野派(かのうは)や藩のお抱え絵師集団雲谷派に学んだ形跡はない。中国の宮廷画の雰囲気を感じさせるこの絵は、鎖国時代中国から長崎を経てもたらされた花鳥画を、自分なりの筆運びや画面構成で描き上げたものだと考えられる。