この短冊は、毛利輝元(天文二十二年(1553年)~寛永二年(1625年))が詠んだ和歌である。輝元は、毛利元就の孫で、関ヶ原の合戦で豊臣方の西軍の総大将に担ぎ上げられ徳川方と戦い敗北、中国地方八か国(安芸、備後、伯耆、周防、長門、石見、隠岐、美作)を治める大大名から防長二か国の大名に転落した。その結果、萩に城を構え、髪をそり「幻庵宗瑞」と名乗ることになった。子どもの秀就が幼いこともありしばらく藩の実権を握っていた。この歌は、そんな輝元の萩にいた頃の歌で、「ながめぬる今日を 待ってやちりもせん 咲も残らぬ 花のゆふばへ」と読める。単に夕暮れに咲く花を詠んだものととるか、転落の男の歌ととるか、さてどちらでしょう。