この書の「迎祥」は、「明治」への改元を祝う言葉である。ご存じの方も多い毛利敬親(文政二年(1819年)~ 明治四年(1871年))は、幕末に活躍した萩藩第十三代藩主である。世間では、「そうせい公」と呼ばれることがある。家臣が裁決をいただくとき、「そうせい」というのが常であったことからこのあだながついた。司馬遼太郎は、敬親公を家来などへの愛情は人一倍そそぐものの、自分の意志を持たず家来のいうことを聞くだけの平凡な藩主として描いている。
ところで、幕末の萩藩は、高杉晋作に代表される尊王攘夷を是とする「正義派」と幕府への恭順を是とする「俗論派」が対立していた。「俗論派」は、幕府などへ弓を引いた禁門の変の責任を取らせるために、「正義派」の処刑の裁決を「そうせい公」に求める。その動きが暴発気味になり、のちに明治政府の元老となる井上馨などの処刑に及ぶと、「そうせい公」は裁決を保留する。そして、生き延びた人材が明治政府を動かすことになる。敬親公は、いつも「そうせい」と言っていたわけではなく、大切なときには思慮深く藩主としてことに当たり明治維新を成し遂げた名君であった。