大濠公園をご存じだろう。福岡にある湖を中心とする庭園で、西湖を模して作られたという。広島の縮景園に至っては、この湖を模して庭を作ったことが名前になっている。西湖は、中国浙江省の省都杭州にある湖である。中国の南の長江方面にあって、上海が現代の中国を代表する都市の一つとすると、杭州は千年前の南宋の時代に都が置かれた古都である。北の黄河(こうが)方面と結ぶ大運河の終点であり政治・経済・文化の中心として栄えた。そこにある西湖は、中国の文化の影響を受けていた日本人の憧れの風景だったのだ。江戸時代、鎖国となって中国に行けなくなったに日本人は、ミニチア版の大名庭園を作り、屏風の西湖をながめて楽しんだのだろう。
この憧れの風景を日本に紹介した一人に室町時代に中国に渡った雪舟がいる。江戸時代、萩藩の保護を受け雪舟の後継と自ら名のった雲谷派の絵師たちは西湖図を盛んに描くことになる。この作品はそういった作品の一つである。雲谷等益は「雪舟四代」である。