松林の中でご老人が囲碁を楽しんでいる。ご老人は世の中の煩わしさを離れて生きている。そんな姿を見ていると、自分も松林の中の「いやし」の空間にいるような気分になる。これこそ南画(文人画)の世界なのだ。一定の技法で対象物を描ききることを目標とする雲谷派などの絵では味わえない。
描いたのは帆足杏雨(文化七年(1810年)~ 明治十七年(1884年)という豊後(大分県)の絵師である。幕末から明治にかけて活躍した。鎖国の時代ではあったが、長崎を通して入ってくる中国の絵画をよく学び自分のものとして消化した。杏雨は、元の終わりごろに活躍した黄公望や、清の時代に活躍した王翬の絵に学んだといわれる。また、画面左側に岩山を描く様子は、明の時代に活躍した沈周の絵に学んだといわれる。淡くくすんだ黄赤(代赭)と藍を全体に行きわたらせることで、画面に色彩が響きあい、穏やかながら緊張感のある世界となっている(青緑山水図)。