幕末、禁門の変(きんもんのへん)に敗れ、第一次長州征伐で切腹させられるのが国司(くにし)・福原(ふくばら)・益田(ますだ)の三家老ということは知られているが、藩を幕府の命に従わそうとする俗論派(ぞくろんは)は、もう一人の家老も切腹に追いやる。その家老の名は「清水親知(しみずちかとも)」、通称「清太郎(せいたろう)」である。
ところで、戦国時代のファンならご存じ、織田信長(おだのぶなが)の命によって豊臣秀吉(とよとみひでよし)が行った中国攻めの大事な戦として「備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)の戦い」がある。「備中高松城」は秀吉の水攻めにあう。
この城の城主が毛利方の「清水家」の当主「清水宗治(むねはる)」である。宗治は本能寺の変を知らずに敗北し自害するのであるが、子どもの景治(かげはる)も、毛利家に仕え、萩に移った後に、父「宗治」以来の功績によって家老などを出す寄組となり現在の光市に2500石余りを領有した。「親知」(図の親知像は「光市文化センター寄託品)は「宗治」から数えて十二代の子孫である。「清水親知旧宅地」は、現在萩八景遊覧船の行きかう運河のそばにある。道をへだてて南には、萩の牛肉の名品「見蘭牛(けんらんぎゅう)」を味わうことのできる「MEAT MARKET MIDORIYA」がある。