この絵は19世紀初めに活躍した鏑木雲潭(天明二年(1782年)~ 嘉永五年(1852年))という人が描いたものである。当時は、江戸を中心に技法を代々受け継ぐことを重視する狩野派(かのうは)の絵が、幕府が保護する中でマンネリ化した。そこで、型にはまった絵ではなく、自然な心で素直に自分の感じたことを表現する絵がもてはやされる。これを文人画(ぶんじんが)(南画(なんが))という。雲潭もそういった絵師の一人である。
絵で表現された「桜」や「梅」は、ご覧いただければおわかりのとおり、決して輪郭(りんかく)線(せん)を用いてかたどらず、花木の形と色を自然な形で表現することで、まるで花を楽しむ自分がそこにいるかのような気持ちにさせてくれる。文人画には見る人をそんな気持ちにさせてくれる魅力がある。
雲潭とコラボして賛(さん)を書いたのが大田(おおた)蜀(しょく)山人(さんじん)である。蜀山人は、「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといひて夜もねられず」という幕府の寛政の改革を皮肉った句をよんだと言われる狂歌(きょうか)師である。この絵では、「鏡のような月に照らされる雪の積もった梅」や「美人は小野小町(おののこまち)、花は桜」と桜梅の美をたたえ、花を添えている。
2019
25Aug