7月19日(金)〔旧暦6月17日〕の夜、越ヶ浜・明神池(みょうじんいけ)の畔にある厳島神社の「管弦祭」が行われた。
厳島神社の「管弦祭」と言えばご本家は、広島の宮島であるが、萩でも行われる。その昔毛利元就(もとなり)が宮島を舞台にした戦いに勝利し中国地方の覇者としての基礎をつくったことに感謝し、血でけがしたみそぎの意味も込めて厳島神社への信仰が始まった。萩に移った毛利氏は、元就の教えに従い、萩に厳島神社を設けた。これが越ヶ浜の厳島神社の初めである。昔は、萩城にある「志都岐(しづき)神社」や浜崎の「住吉(すみよし)神社」に船を繰り出し、神様を鎮め、海の安全や豊漁を願った。
「管弦祭」は、なんといっても平安貴族風の雅な遊びが特徴で、台風到来で室内で行われたが、深夜まで繰り広げられた「巫女(みこ)の舞」は、人々の心を楽しませてくれた。
人口減少で、少なくなった巫女たちにこの祭りの将来はどうなるのかと一抹の不安も感じた。祭は、深夜舟に神様を神輿にうつす「おあがり」で幕を閉じた。
なお、先日越ヶ浜の中学生による「和船競争」も行われ、越ヶ浜の祭の季節を飾った。