浜崎は、歴史的なおもむきある建物と風情を残す「伝統的建造物群保存地区(でんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)」に指定されている。浜崎は、その歩みからわかるように商業や漁業をなりわいにした町で、現在残っている建物の中心は町屋である。浜崎の町屋の多くは、道路に平行して屋根の流れと入り口のある平入り切妻…
幕末には、浜崎に梅屋七兵衛(うめやしちべえ)という藩の武器を扱う御用商人が登場する。七兵衛は、倒幕の旗印を掲げた長州にイギリスから千丁の鉄砲の密輸した商人である。豪商の須子家には、須子小五郎(すここごろう)が出る。彼は、尊王攘夷の志に燃え禁門の変で十九歳の若さで戦死する。また、吉田家の菩提寺(ぼだい…
江戸時代に興った浜崎の豪商の代表に山県家(やまがたけ)と須子家(すこけ)がある。 山県家は、かつては多賀谷(たがや)を名のる毛利家の家臣であったが、浜崎が西廻り航路(にしまわりこうろ)の寄港地として開発が進むと「山県」を名のり町人となった。山県家は、西廻り航路で運ばれてくる北国の材木を取り…
浜崎は、萩の三角州の北東のはし、松本川の河口の日本海に面した町である。毛利輝元(もうりてるもと)が慶長九年(1604年)萩城の建設を始めるころには、魚などをなりわいにした人々の営みがすでにあったようだ。やがて藩は、浜崎などを監督する代官所をつくる。萩藩が藩内の地方行政組織として慶安三年(1650年)…
萩で味わうクリスマス気分。ありますよ。大正14(1925)年に山陰本線(当時は美祢線)に建設されたおしゃれな洋館建て「萩駅舎」周辺でのイルミネーションが市民の目を楽しませる。近くの食堂もカフェに早変わり。萩駅近くの皆さんがサンタ気分で届けるクリスマスプレゼント。来年1月5日(火)まで楽しめます。…
堀内の旧福原家萩屋敷といえば、江戸時代、長州藩の「永代家老」をつとめた福原家の屋敷地であるが、現在は、どういうわけか公益財団法人菊屋家住宅保存会の所有地になっていて、荒れ果てた敷地の中にお屋敷の門だけが往時を忍ばせる。しかし、もう一品四百年の歴史を感じさせるお宝がひっそりと残っている。クロガネモチの…
「マルシェ」は、フランス語で「市場」。最近、よく耳にする言葉。農産物や海産物などを持ち寄って販売するスポットのこと。毎月第三土曜日に江向の昔市民球場があった中央公園の山県有朋像の付近で開催される。市が音頭をとって始まったが、意欲のある農家さん、魚屋さん、お菓子屋さんなどが店を並べる「萩のうまいもの市…
鎌倉時代の十三世紀、のちに長州藩の「永代家老」をつとめた益田家の一族御神本兼定(みかもとかねさだ、当時は「御神本」を名のった。)が周布郷(現 浜田市周布町)の地頭となって周布氏を称するようになり、周布城(鳶巣城(とびのすじょう))が築かれた。城山の麓には聖徳太子(しょうとくたいし)が開いたといわれる…
益田家の祖は、藤原氏の一族藤原国兼(ふじわらくにかね)が、平安時代の終わりごろ石見国(いわみのくに、島根県西部)の国司(こくし)として赴任したことに始まる。国兼は、そのまま石見国に土着し浜田(現 島根県浜田市)を中心に勢力を伸ばし「御神本氏(みかもとし)」を名のった。のちに益田(現 島根県益田市)に…
市民の憩いの広場「中央公園」のそば、光塩幼稚園の敷地にあるイチョウである。古地図によると江戸時代ここには神社があったので、境内に植えられたものだろう。樹齢二~三百年ところだろうか。むかし幼稚園に通う道すがらながめていた。 …