萩の三角州の扇の付け根、橋本川と松本川が分かれるところを「太鼓湾(たいこわん)」という。
鎌倉時代の蒙古がやってきた弘安年間ごろに、水災を鎮めるため天王社(てんのうしゃ)を太鼓湾に祭ったので「天王鼻」ともいうそうだ。ということは、デルタのつけ根あたりもこのころすでに人々の営みがあったことになる。ここに高さは20メートルはゆうにある背高のっぽのクロマツが一本立っている。
あたりの人を水害から守ってきたお姿である。
萩の三角州の扇の付け根、橋本川と松本川が分かれるところを「太鼓湾(たいこわん)」という。
鎌倉時代の蒙古がやってきた弘安年間ごろに、水災を鎮めるため天王社(てんのうしゃ)を太鼓湾に祭ったので「天王鼻」ともいうそうだ。ということは、デルタのつけ根あたりもこのころすでに人々の営みがあったことになる。ここに高さは20メートルはゆうにある背高のっぽのクロマツが一本立っている。
あたりの人を水害から守ってきたお姿である。