山口市のシンボル瑠璃光寺五重塔(るりこうじごじゅうのとう)の近くの七尾山(ななおやま)のふもとにあるお寺で、あまり知られていないが豊臣秀吉の供養塔がある。
俊龍寺は、室町時代、15世紀の半ば大内氏が創ったお寺である。大内氏が滅び毛利氏が山口を治めるようになる。この街に、毛利輝元が、関ヶ原の戦いの前、慶長二年(1598年)に死去した秀吉の供養塔を建てた。
この寺は、大坂の陣が始まる前年慶長十八年(1613年)、寺号を現在の「豊国山俊龍寺」として現在に至っている。
「豊国山」は秀吉の神号「豊国」であり、「俊龍寺」は、秀吉の戒名「国泰祐松院殿霊山俊龍大居士」から来ている。
大ぴらに豊臣秀吉をとむらう寺としたことは、徳川家康の目が光っていることを考えると、毛利輝元の武将としての大胆さを見る思いがする。
それとも前回も述べたが「おぼっちゃん」だったのか。よくわからないが、江戸時代から現在まで続いている供養塔である。