「伸びる港の 姿を見つつ たのしドライブ 笠山登山 逢ふて嬉しや 明神様(みょうじんさま)の 池の面に アノ躍る魚」、これはかつて唄われた萩小唄の一節。越ヶ浜の漁港を通り笠山へドライブ、その途中、風光明媚な明神池を歌っている。笠山から越ヶ浜一帯は、昔から観光スポットだった。
萩一番のパノラマビューと言えば、笠山からの日本海の展望だ。
標高100m余りの小山だが、1万年以上前の噴火でできた溶岩台地に後でできたスコリア丘と呼ばれるプリンのような火山がのっかる。その形が平安の昔の女性のかぶる「市女笠(いちめがさ)」に似ていることから笠山と呼ばれているが、立派な活火山である。
低山であるが頂上からの眺めは「絶景」の一言。萩沖の島々や萩湾・菊が浜・指月山さらに北長門の海岸線が一望できる。
日本晴れの日のどこまでも見渡せるパノラマはもちろん横綱だが、春霞の中に浮かぶ茜色に染まった夕日の海は、心のまぶたにしまっておきたいイッピンである。「照らす日の 色や浜地の 夕霞」、昔の文人の俳諧をご紹介しよう。
しかし、この笠山のパノラマも、山ができた1万年前は、海面が今より40mも低く、沖の大島あたりとは陸続き。さらに数万年前の海面はもっと低く、他の島々とも陸続き、しかも笠山のように火山として誕生ししつつある時代であることを考えると今と全く違った眺めであった。
そうしてみると現在は楽園である。この楽園を世に出したのは、越ケ浜出身で工部大学校(現東京大学工学部)卒業の都野豊之進(つのとよのしん)である。
彼は、私費を投じて笠山山頂までの登山道を開設し、それを子どもの正一が萩市に寄付して今日に至っている。
江戸時代の楽園は、様子が少し違う。毛利氏が萩に移ると、笠山の南西方向の指月山のふもとに萩城を構える。昔は日本独特の風水の考え方で、お城から北東の笠山の方角は、鬼が出入りする不吉な方角とされてしまった。おかげで樹木の伐採や鳥獣の捕獲が禁じられ、椿の原生林が誕生する。また、鳥獣のうち猿は鬼門よけとして保護されたため、「お犬様」ならぬ「お猿様」として藩の保護を受け、笠山だけでなく麓の越ヶ浜の浦にも姿を見せた。