「松下村塾」の聯(対句を刻んだ細長い竹の札)にある松陰の大切にした言葉のお話。玉木文之進の後一時松下村塾を主催した久保五郎左衛門の依頼で松陰が書いたもので、五郎左衛門が自分の屋敷に生えた孟宗竹に刻んだもの。江戸幕府の教えである朱子学に飽き足らなかった松陰が、時代の変革に対応できる学問に対す態度(知行…
松下村塾を興した玉木文之進の旧宅と本人の姿を現したものをアップします。 …
松下村塾が始まったのは、松陰神社の南側を奥に入ってしばらく行く(途中に松下村塾の門下生伊藤博文らの旧宅がある。)と、松陰の叔父の玉木文之進の旧宅がる。ここで玉木が始めた私塾が興りである。(「松下村塾発祥の所」の石碑がある。)松下村塾の名は、当時この付近を松本(松下ともいう)村と言ったことから玉木文之…
「松下村塾」は、皆さんご存知の吉田松陰が、多くの子弟を育てた私塾として有名である。しかし、松陰が実際塾舎で講義を行ったのは、安政四年(1857年)11月から翌年の12月までの1年1か月と短い。この短い期間に高杉晋作・久坂玄瑞など幕末に散った維新の志士をはじめ、明治の元勲、伊藤博文や山県有朋などが育っ…
松陰神社敷地内、境内入口左奥の隅にありに「薩長土連合密議之處」という石碑がある。 当時ここには鈴木勘蔵という人が営んでいた旅館があった。この旅館に坂本龍馬がやってきた。目的は松下村塾の高弟久坂玄瑞に、土佐勤王党の盟主武市半平太の書簡を渡すためである。たまたまそこには、薩摩藩士田…
世界遺産になって観光客の数が増えたとか。(城下町やお城の方は数が減ったとかで。)それはいいとして、やはり松陰神社は散歩しておかないと。中には吉田松陰が教えた松下村塾(しょうかそんじゅく)があるが、それは次回に譲るとして、今回は入り口だけ。何と言っても萩は奥が深い。正面の鳥居の前にあるのが「大…
山口県立美術館で開催されている「激動の幕末 長州藩主毛利敬親」に行ってきました。図録を買って帰りました。奇兵隊の乾パン食べながら暑いけど「そうせい公」の偉大さにふれてみます。県立美術館のメンバークラブに入っているのでまた行く時も無料です。助かります。 …