今回は、松下村塾の塾舎の隣にある杉家の人たちが生活した家にある「幽囚室」掛かる軸の書を紹介する。
松陰は、野山獄を出た後、生家杉家に預けられ謹慎処分となる。そこで、家族の勧めで獄中で行っていた『孟子』の講義を続ける。その部屋が「幽囚室」である。正面に杉家と吉田家の神棚があり、向かって右側に松陰の尊敬していた広島藩藩医木原松桂(彼は、幼いころ生き別れた母を四十年間探し続け墓を見つけた「孝」の人であった。)に筆をふるってもらった書が掛けてある。
『三餘讀書』
中国の三国志でおなじみの三国時代の董遇(とうぐう)という人の言葉。貧しくて読書をする暇がないという弟子に、農作業が少ない仕事の時代に冬、夜、雨の日があるとし、その時読書をすればいいといっている。これを松陰は「君父の餘恩」、「日月の餘光」「人生の餘命」と置き換えて、自分は牢獄につながれた身であるのに食事が与えられ読書できる。牢獄にあるのに日や月の光で読書できる。下田踏海などの大罪を犯し獄につながれた身でありながら読書ができる。こうして、松陰は命をかけて読書・勉学に励むのである。
『七生滅賊』
「七生」とは、この世に七たび生まれ変わって国恩に報いると云う考え方。「滅賊」とは、尊王に背いたものを滅ぼす尊王思想を表す。楠木正成の影響を受けた松陰が尊王思想に傾倒する姿を現す。