製鉄所といえば、日本では伊藤博文(いとうひろぶみ)が内閣総理大臣として道をつけ明治三十四年(1901年)に動き始めた「官営八幡製鉄所(かんえいやはたせいてつしょ)」を思い出す。世界に目をやれば、十八世紀の初め(日本は八代将軍吉宗(よしむね)のころ)イギリスで石炭を蒸し焼きしたコークスを用いた製鉄がはじまった。日本より二百年前の話である。
では、「たたら製鉄」とは何なのか。それは、五・六世紀ごろから始まった「日本独自の製鉄技術」である。古来日本刀の製作にも欠かせない技術で、アニメ『もののけ姫』にも「たたら場」(島根県奥出雲が舞台)が登場し砂鉄(さてつ)から鉄を取り出す製鉄所が登場する。これが「たたら製鉄」で、江戸時代は特に中国地方で盛んにおこなわれた。
「大板山たたら製鉄遺跡」は、江戸時代の中期から石見国(いわみのくに、島根県西部)から砂鉄を運び、大板山の近くにある山林の木材を燃料として製鉄が進められた。大板山では、砂鉄を、一旦「砂鉄洗い場」で不純物を取り除く。その後、「高殿(たかどの)」に送られ「製鉄炉・天秤鞴(てんびんふいご)」で鉧(けら)と呼ばれる粗鋼がつくられる。さらにそれが「鍛冶場(かじば)」で「長割鉄」と呼ばれる銑鉄(せんてつ)となり工具や農具として使われるため市場に出される。
安政三年(1856年)長州藩は、「恵美寿ヶ鼻造船所(えびすがはなぞうせんしょ)」をつくり洋式の木造軍艦の建造にとりかかる。当時西洋流の蒸気機関や製鉄技術がない日本では、蒸気船のような鉄を使用した軍艦は造れない。「たたら製鉄」の技術を使い、木造軍艦をつくるための釘(くぎ)やカスガイの供給源として「大板山たたら製鉄所」があった。