口羽家は、毛利家の親戚筋(庶流)の志道(しじ)家の一族である。戦国時代、毛利元就(もうりもとなり)の本拠地安芸国(広島県)[安芸高田市吉田]の北の石見国(島根県)の山間部の口羽村を領地としたので「口羽」の名がある。
元就のもとで、口羽通良(みちよし)が重用され、元就の子ども吉川元春(きっかわもとはる)・小早川隆景(こばやかわたかかげ)らと戦国時代の毛利家を支えた。関ヶ原の合戦後、口羽家は毛利家に従って萩に移り、家老などを務める寄組(よりぐみ)となり、石高は1,018石となった。
現在の口羽家住宅(重要文化財)は、18世紀末から19世紀初め頃に建てられたものと思われ、座敷から庭を隔てて橋本川に浮かぶ常盤島(ときわじま)や対岸の玉江の風景が眺められ、お隣には藩主の別荘(江風山月楼)があり実に風光明媚なスポットとなっている。
屋敷の瓦屋根には毛利家の親戚筋を示す「二に三ツ星」の家紋がある。